日本人と聖書

 漏れはイエス・キリストは漏れの救い主であり、神の御子であると信じている。また、全然関係ないが、漏れは十年以上のキャリアを持つ筋金入りの2ちゃんねらーでもある。だから漏れのコラムも2ちゃんねらー風に書いてみることにする。さて、日本では、「何らかの宗教を信じる=負け犬が駆け込み寺に逃げ込む」と一般的に考えられている感があるように思う。こう言う漏れについても、少なくとも漏れの妻はそのように考えている。なお、漏れの妻は非キリスト者、普通の日本人のようにノンクリスチャンである。

 また、漏れはキリスト教以外の宗教については知識がない。友人に創価学会 の信者はいるが、創価学会はキリスト教とは似ても似つかないものであるとい う認識は持っている。なお、漏れは別に創価学会を否定するオピニオンはまっ たく持っていない。創価学会の信者も、変なやつもいるけど、いいやつも多い と感じている。でも、どの宗教もそうであろうが、やはり自分の信じ ている宗教がベストであると考えるのは間違いないであろう。

 漏れがイエス・キリストに近づき始めたのは漏れが35歳くらいになってからのことだ。漏れは明治学院大学という、よく明治大学と間違われる大学に入学したのだが、その大学はもともとヘボン先生という、アメリカの長老教会のメディカル・ミッショナリー(西洋医学を必要とする地域への、西洋医学を施しながらの伝道を目的とした使節)が設立した大学であった。そこで聖書を手渡されたのが最初であったが、 最初から聖書を読む気にはならなかった。まず、文字が多すぎる。次に、体系 が理解できない。興味がまったくそそられることなく、漏れは聖書を本棚に「 お供え物」のノリで配置し、とりあえず「聖なるもの」として長期間保存する ことにした。

 なお、不思議なことに、わが日本では、わが師ヘボン先生が来日してからの 150年間で3億5千万冊もの聖書が販売されたそうだ。今でも年間を通じて一定数 が販売されているそうで、いったい、誰がどういう目的で買っているのか皆目 見当がつかないが、多分、当時の漏れと同じで、「とりあえず何らかのかたちで本棚に納めておかないと何らかのバチがあたるかもしれない」といった風な理由により入手されているのであろうかと勝手に想像している。クリスチャンが知人友人に聖書を送ることは往々にしてあるであろうが、単純平均で年間225万冊の聖書を日本人クリスチャンが友人知人に送ることは困難であろう。(しかし、最近思いを巡らしたところ、これは実は困難ではないかもしれないと思うようにもなった。日本のアクティブなクリスチャンは、我が国総人口の1%つまり120万人程度と推測されているが(実は、このパーセンテージもかなり怪しいという説もある。クリスチャンのうち、カトリック人口は共産党員の数とほぼ同数の50万人位という説を漏れは信じている。一方、プロテスタント人口はもっと少なく、毎週日曜日に礼拝を必ず捧げるアクティブなプロテスタントは、漏れの通っている教会の牧師先生に言わせると2-30万人位じゃないかとされる)。仮に低く見積もって我が国のクリスチャン人口を70万人として、年間一人あたり3冊の聖書を知人友人へプレゼントすれば、そのくらいの聖書は購買されるであろう)。

 多分、聖書を読んだことがない日本人は多数存在するが、聖書が家にある家庭はある程度の数があると想像する。クリスマスが日本で盛んに祝われるのと同様に、ある種 のノリで、日本人は聖書を「聖なるもの」として何らかの形で入手し、「お守り」か「お札」のようなものとして永久保存しているのであろう。そして、それらの手つかずの聖書は、ほとんど手つかずのまま放置されるか、あるいは、何らかのきっかけで、特定の者が読むようになさしめられるものと思われる。聖書は、少なくとも、人気流行漫画が読まれるノリで、つまり、「おい、これスゲーよ、お前も読んで見ろよ」という感じで読まれることはほとんどないと思われる(しかし、中にはそういうケースもなくはないと思う。聖書を読んであまりにも感動し、ただちに伝道を始めるというケースもあると思うが、レアケースであろう)。ある者に聖書を読むに至らしめるのは、何らかの理由なりきっかけがあるものと思われる。

(ブログランキングにご協力お願いいたします。↓)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

Column "Hitorigoto"

Vol.1「日本人と聖書」