ところで、ユダヤ人はケチだという一般的なイメージがたいていのアメリカ人にはある。そういう漏れもアメリカで暮らしていた経験から、ユダヤ人はケチだという認識を持っている。しかし、一般的な日本人はユダヤ人との縁がない事もあり、そのような認識は持っていないと思う。しかし、ユダヤ人のケチさは、ほとんどあっぱれというほど徹底している。

 まず、ユダヤ人は全般的に、お金をムダにすることを本能的に嫌がると漏れは思っている。漏れの知っているユダヤ人の中に散財家は一人もいないし、無駄なお金を使うユダヤ人に漏れは今日まで会ったことがない。お金を浪費させる遺伝子が彼らの中に皆無であると思わされるほどにユダヤ人はお金を大事に使う。また、ほとんどすべてのユダヤ人においては、値切ることが彼らの常識で、言い値で買うことはまったくない。モノを買うにあたってお金を一円でも安く払うことが彼らの常識であり、一部の日本人の会社経営者のように「社長、社長」と呼ばれていい気分になって勘定通り支払う輩はほとんどいない。

 かのスピルバーグの名作で「シンドラーのリスト」という映画があるが、その中に登場するポーランド人のユダヤ人家族が、最後まで残しておいたズロチ硬貨を泣く泣く拠出するシーンがあるが、ユダヤ人とは、本当にそのようにしてお金を大事にする民族であると思わされる。2000年前のローマ・ユダヤ戦争により世界中に離散させられて以来、居住する生活圏において自分達以外は全員異邦人という環境の中では、神とお金以外に頼りにできるものはないという経験を経てきた民族ゆえの特徴であるかと思う。

 そういえば、ユダヤ人は紀元前1500年に指導者モーセに導かれてエジプトから脱出し、荒野で過ごすという経験をしている。これがユダヤ人の流浪の原体験となり、その後のイスラエルの盛衰の歴史を経て、いよいよ無頼的な民族の性質を色濃くしたものと考えられる。しかし、なぜか漏れは、そのようなユダヤ人のケチさを、今となっては全然おかしい、またはケチくさいなどとは思えない。むしろ、神しか寄り頼めない民族の、必然的悲哀としてポジティブに考えている。逆に、不必然にお金を持ってしまった最近の日本人のように、神も認めず、また、お金の意味や価値も深く吟味しない人々の方が、ある意味もっと不幸であると思っている。

 なお、ユダヤ人はケチではあるが、決して薄情な民族ではないと漏れは彼らのために証言しておく。彼らは、ある意味日本人と似ており、家族を非常に大事にし、大変親切で心優しい民族である。漏れがアメリカの高校に入学したての時、真っ先に親切にしてくれたのはユダヤ人であった。漏れは、その時の彼らの親切と、今も続いている彼らとの友情を、決して忘れまいと誓っている。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.10「漏れにとってのユダヤ人 Part2」