漏れは大学を卒業してから今日までの18年間で八つの会社を経営し、それとは別に7回の転職を経験している。特に最近の8年間は動きが甚だしく、すべての転職をその期間中に行った。一番最近在籍していた会社は在職期間が6ヶ月で、その前の会社は9ヶ月だった。これくらい転職していると、もう民間の転職アドバイザーからは完全に相手にされなくなるが、最近では漏れ自身も就職ということについてはほとんど期待しなくなった。こうなると、自分の食い扶持は自分で稼ぐ以外にはないと覚悟を決めている。そもそも、漏れぐらいの年になると、人はそれなりの仕事をするのが当然であろうという一般的な社会的期待が寄せられるのかも知れない。

 そういうわけで、漏れは経営者としての経験もそれなりにしているが、雇われる側のサラリーマンの経験も有している。この両者は、ほとんど水と油の関係のようなもので、仕事の内容というか主旨がまったく違っている。経営者は、特に中小企業の経営者は、経営管理を行うのが主業務の大企業の経営者とは違って、ほとんど個人事業主と同じような仕事をしなければならないので、経営者というよりも商売人という方が実態に近い。自分の才覚で商売を見つけ、ファイナンスを行い、お客をつけ、利益を上げる。特に、今のような難しい時代になると、経営者はほとんどあらゆる能力を総動員してお金儲けをせねばならなくなる。そのような仕事をする人間にとっては、会社の社内整備を行うとか、従業員の労働環境を整えるとか、企業統治システムを構築するといったことは、大なり小なり二の次になる。

 しかし、サラリーマンはまったく違う。サラリーマンとは、会社の規模が大きくなればなるほどそうであるが、会社という組織において、その組織のパーツとして最適化させられる人種である。つまり、経理なら経理、人事なら人事、営業なら営業として、それぞれの機能を果たすべくチームの部品となるわけである。そうした組織では、サラリーマンは「個」の能力をそれぞれ発揮することが求められるが、どちらかというと、場合によってはそのような「個」を捨てて組織の色に染まることが求められる。以前に属したある会社では、大企業や金融機関といった「ちゃんとした」会社からの転職者が数多く存在していたが、彼らの常識では、「組織のハーモニーを保つこと」「根回しをすること」「同僚とよくコミュニケーションをとって意思疎通を図ること」といったことが極めて重要な不文律とされていた。そのような組織においては、漏れのような、どちらかというと経営者的発想をする人間は「異端」であり「危険分子」であり、案の定、漏れはその組織から当然のように放逐された。

 漏れが何よりも驚いたのは、そのような組織では、そうした不文律を遵守するために、深夜まで及ぶ会議の連日の開催や数センチの厚さの稟議書が用意されることが当然とされることであった。そういうものよりもお金儲けの種を探すほうが重要だと漏れみたいな香具師は考えてしまうが、極端にサラリーマン化された組織では、ロボットのように最適化された人間でないと勤まらないのかも知れない。漏れがその会社を辞める直前、ある30代の立派なサラリーマン根性を持つ同僚が、彼が上司に提出する資料を、完全に上司が求める形で作り上げたのを自慢げに見せてくれた。「どうですか、上司に命令されたら、これくらいのものを作り上げないと駄目なんですよ!」といった風に彼は真面目に自慢していた。ふーん、エライなと、半ば感心し、半ば閉口した漏れは、「そうか、すごいね、よくできるね」と、あまり心のこもっていない賞賛の言葉を口にしてあげた。しかしながら、実のところ、漏れは彼のその行為がものすごく無駄であると思っていた。そして、漏れが懸念した通り、彼が関係していたその仕事は、その後関連会社の経営破綻というかたちで水泡に帰してしまったのだった。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.12「経営者とサラリーマン Part1」