しかし、ここで問題となるのは、日本の労働者人口のすべてがサラリーマンになってしまったとしたら、一体どういうことになってしまうのかということである。最近、栄華を誇った自動車製造業界でさえ、景気悪化に伴う非正規労働者の解雇で社会的非難を浴びている。しかし、例えばT自動車ほど財務内容の良くない会社などは、パーツを捨てないことには自らが存続できない事態に陥るであろう。また、自動車製造業界ほどに景気のよくない業界はなおさらであろう。そうなると、サラリーマン化した日本人全員が、前にご紹介した立派な30代のサラリーマン氏のように、いかに徹夜して上司が求める完全な書類をつくりあげようとも、自らが気にしないまま沈み行く船と運命を共にすることになってしまうかもしれない。

 今、現実に我が国に起こっている現象は、まさにそれが実際に起こっている事の現実であろう。全員がサラリーマン化した我が国の労働者は、全体のパーツとなることでそれなりの可処分所得を手にしてきたが、日本全体に対するニーズが減少するや、そぞろに不要なパーツとして捨て始められている。それはまず、非正規労働者の解雇という形で始められ、そして、次には本丸の正社員の解雇というかたちでエスカレートしてゆくであろう。ある筋は来年の春ぐらいからそれが現実のものとなると予想しているが、漏れは、春から始まるくらいであればむしろ遅いのではないかとも思っている。それほど、一度パーツ化したサラリーマンとはまったくつぶしが利かないものであり、かつ、雇用する側の会社にも余剰人員を養う余裕はなく、どの道切るしかないと経営者に(その経営者もまたサラリーマンであるが)判断されることになると見ているからである。

 サラリーマン組織の慣習で漏れが死ぬほど嫌いなのは、非生産的なことにつまらないエネルギーを費やすことだ。組織の秩序を守るために根回しをしたり、長時間働くフリをしたり、「生産的な」会議を演出してみたり、「中身の濃い」大量のペーパーを作ったりしたりといった類の、多くのサラリーマンにとってはお馴染みの「当たり前の」慣習である。しかし、漏れのような輩からみると、これは余裕のある組織にのみ許されるある種の「贅沢な行為」なのだ。今までの日本は運が良過ぎた。製造業にせよ、最近の金融業、特に投資銀行と呼ばれる金転がしで儲けてきた金融会社では、そのような「贅沢な行為」が一般化してしまった。しかし、それらの会社が、必要以上に贅沢を続けてこれたことが結果的に悪い結果をもたらすと予測する。余裕のなくなるそれらの会社が今後、当然の帰結として、淘汰という憂き目を見ることになるのは、火を見るより明らかであろう。

 結局のところ、現在の日本に必要なのは、サラリーマンではなくて商売人、つまり本当の意味での経営者なのだ。何らかの新しいビジネスを見つけ、それを上手に育て上げる、およそ日本という国には極めて生まれにくい類の人種なのだ。しかし、真の経営者の輩出なくして我が国の今後はありえないとも思われる。願わくば、大恐慌と大失業の到来を感じさせるこれからの我が国において、偉大な経営者が生まれ出んことを。

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Column "Hitorigoto"

Vol.14「経営者とサラリーマン Part3」