我が国におけるCFO不足のひとつの原因として考えられるのは、今日までの我が国においては、そもそも創造的なCFOなど必要とされなかったということだ。持続的な成長が当たり前の経済の下では、企業の財務活動は画一的で硬直的になる。メイン銀行を擁する土地本位制金融では、創造性を発揮する必要性は少ない。そこに要求されるのは、本社や工場の土地の権利証と、連帯保証を行う社長の実印である。そして、そのような状況でCFOに要求されるのは、法務局に出向いて土地の登記簿謄本を取得してくることと、社長を口説いて連帯保証人の欄に記名押印させることなのである。

以前、筆者が関与していたある中堅物流会社は、社歴40年と従業員数150名を有し、特定の荷主を顧客として極めて健全な経営を行っていた。同社のCFOたる財務担当役員は、まさに堅物を絵に描いたような人物で、同社の金庫番として同社に長く君臨していた。そこでの彼の仕事は、第一に会社の金庫を管理し、カネが外に出て行くのを防ぐこと、第二に銀行の担当者と懇ろになり、カネが必要になった場合にいつでもカネを借りられるようにしておくことであった。ある時、彼は酒席で漏れに次のように語ったものだ「いいかね、中小企業の財務担当者に必要なのは、まずは個人の信用だ。会社のカネを預かるのだから、信用が重要なのは言うまでもない。そして、次に重要なのは、ゴルフとカラオケが上手いことだ。銀行と密接な関係を築くためには、ゴルフとカラオケが上手である必要がある。さらに、酒が飲めるのであれば万全だ。銀行の支店長と杯を酌み交わし、いつでも資金を調達できるようになれば、もう一人前だ」

上の財務担当役員の話は、右肩上がりで成長する経済における、典型的な中堅企業の財務担当者の姿を描くものであろう。不動産担保と社長の連帯保証でカネが借りられた時代においては、銀行の担当者と仲良くなることが財務担当者の重要な仕事であった。そこには、現代の我々が求めるCFOの姿はまったくない。そこにあるのは、資金繰り表とソロバンが机にならぶ、小津安二郎の映画のような風景である。

そのような世界においては、現在の我々が必要とするCFOの活躍の機会がまるでないばかりか、存在そのものが否定されるであろう。担保と連帯保証があれば銀行がカネを貸してくれた時代においては、CFOにいたずらに「創造的」な仕事をされてしまうことは危険きわまりない。銀行にとっても、取引先のCFOが突然新株を発行して直接的に資金を調達するとでも言い出したら、どこか「筋の悪い」会社と手を組んだに違いないと疑うばかりであろう。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.17「不足するCFOという名のプロフェッショナル Part3」