最近、漏れは企業再生を行うある会社へ転職した。企業再生の現場では比較的古くから活躍している会社で、この業界では結構有名な会社だ。自分の会社をよく言うのは客観性の面からどうかと思うが、この会社、漏れの認識では非常にバランスよく企業再生を行っていると思う。前にも書いたが、企業再生を標榜する会社の少なくない数の会社が、顧客企業のためにではなく、自分の会社の利益のために「企業再生」を行っている。しかし、企業再生会社といえども営利企業である以上は利潤を追求しなければならないので、いうなれば、利益をどう確保するかは企業再生を標榜する会社の「価値観」なり「バランス感覚」なりに拠ってくるという結論めいたものに到達する。確かに、それはそうとしか言いようがないのであるが、例えば、弁護士にも利益を度外視して被告の人権を守ろうとする正義感がいる一方で、まるで金儲けしか頭にないような弁護士もいるようなものである。企業再生の会社もそれと同じで、要はその会社のカルチャーやパーソナリティがどうであるのかが重要なのである。漏れは別に身内びいきをするわけではないが、漏れの今いる会社は、そういう意味で非常にカルチャーが良い。そして、このカルチャーをブラッシュアップしてゆこうという機運が高いので、今後さらに優れた会社になってゆく可能性が高いと思う。

 一方、先に漏れは、企業再生を行う面々の出自は実に多様で、「倒産経験のある元企業経営者」の類に、よく言えば個性的、悪く言えばロクでもないのが多いということを既述した。漏れがこう言うのは、その手の輩のほとんどが、自らの悲劇を自己中心的に解釈し、はっきり言ってしまうが、その悲劇からあまり多くを学んでいないという印象を受けてしまうからなのである。経験から学ぶというよりも、倒産という「悲劇」を一過性の事件として売り物にして、強引に印刷物等に刷り込み、情報の非対称性をもって情報不足者に販売しているだけと見えてしまうのである。だから、その類の多くに理論的骨子が何もなく、また、学術的な理論構築が頭脳内に確立していないように見られるのである。企業再生とは、ほとんど医学並みの困難な知識体系と情報体系が求められる複雑怪奇なシロモノなので、その手の輩が付け焼刃的に市販本から習得できる類のものでは決してない。漏れは、学術的には今日までに八年間を企業再生研究の時間に使ってきたが、未だ確たる研究体系の基礎たるものを得られていない。一般の研究者等々を見ても、特に大学においても、得られたとする人を見たことがない。その立場から斯様な面々を見つめると、どうしても薄っぺらい印象を持ってしまうのだ。

 とは言うものの、別に学者が企業再生の現場で格段に偉いというわけではない。しかし、漏れが心から尊敬する高木新二郎先生は企業再生の最高の実務家であり、また、立派な研究者でもある。そもそも日本の産業再生政策のほとんどは先生の頭脳から誕生している。企業再生の究極的現場においては、先生のような実務とアカデミズムのバランス感覚に優れた人材が最も必要なのであろう。その意味で、いやしくも企業再生を仕事にしていると標榜する我々は、斯様な方向性での能力向上とバランス感覚の確立に努めなければならないと、真面目に思ってしまう今日この頃なのであった。

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Column "Hitorigoto"

Vol.22「企業再生」という名の商売を行う面々 Part4