聖書は、新約と旧約の二部構成になっている。漏れが初めて聖書を手にした時、どうして一冊の書物が二部に分かれているのかよくわからなかった。とりあえず読み始めるに際し、書物は、どの書物でもそうであろうが、とりあえず最初のページを開くのが普通であろう。今から二十三年前、大学の生協で買った(というより、必須科目の教科書だったので「買わされた」とするのが正しい)聖書の最初のページを開いた時、「へー、これがあの有名な天地創造の記述か」というぼんやりとした雑感を持ったことは覚えている。しかし、神が6日間で天地を創造され、7日めに休まれたというくだりを読むに至って、漏れも読むのを休んでしまった。当時の漏れには、重厚で荘厳な趣を持つ聖書を、それ以上読み進める意志もきっかけも意欲も持っていなかった。

 旧約聖書を閉じた漏れは、次に新約聖書を開いてみた。正直、こっちは何となく読みやすそうだと思った。なるほど、新約聖書はイエスという人について書かれているらしい。イエスという人が何を行い、何を語ったかを綴った言行録のようなものだと漏れは理解した。しかし、マタイの福音書(新約聖書の四つの福音書の最初の福音書)をざっと読んでみた漏れは、別に何の感想も反応も持たなかった。

 なお、漏れの通った明治学院大学は、アメリカ長老教会が日本に派遣したヘボン先生が設立したヘボン塾を母体としていることは前に述べた。ヘボン先生は、アメリカの東海岸で医師として大いに成功したが、それまでに築いた富と名声を捨てて当時の未開国日本に伝道に行くことを決意したそうだ。この決意、漏れは何がヘボン先生をそうさせたのかまったくわからなかったが(今は神の意志であったと信じている)、当時の日本は、幕府がいまだに開国を頑なに拒み、国内は攘夷志士で充満した、およそ外国人にとっては危険極まりない国であった。先日、日本人ボランティアがアフガニスタンで殺害されたが、多分、当時の日本は、現在のアフガニスタンと同程度か、もしかするとさらに危険な国であったと思われる。実際、1859年に来日したヘボン博士は、神奈川の寺を借りて仮の診療所兼居宅を開設したが、ヘボン夫人は案の定というか、やはりというか、近所に潜伏していた攘夷志士に切りつけられ、怪我を負っている。なお、ヘボン先生はこの事実をひた隠しにし、夫人にも決して口外しないよう命じたという。

 話はさらにそれるが、わが明治学院にはこのヘボン先生が翻訳した初期の新約聖書のオリジナル版が図書館の書庫にある。これは、今となっては大変な宝物であると思われるが、当時の漏れにはそれがどれほど価値のあるものであるかまったくわかっていなかった。ヘボン先生は、仲間のブラウン先生らと共同で1872年に『新約聖書馬可(マコ)伝』『新約聖書約翰(ヨハネ)伝』『新約聖書馬太(マタイ)伝』を書き上げ、出版している。この聖書、読むに面白く、日本の聖書の歴史の香りをかぐことができる。興味のある人はぜひ明治学院の図書館へ(なお、オリジナルは持ち出し不可で、謄写版を館内閲覧できる)。

 さて、新約聖書は、イエスの弟子や孫弟子らが書いた四つの福音書と、復活したイエスによって弟子にされたパウロが書いた書簡、およびその他の関係者が書いた書簡等によって構成されている。なお、書簡が先に書かれ、福音書はそれらの出版後に記されたされる。なお、新約聖書においては、基本的にはそうしたコンテクスト以前に、

1.イエスという人が紀元前6年頃に、ベツレヘムというところで生まれた。
2.ところで、そのことは「旧約聖書」において、800年前に既に「預言」されていた。
3.そのイエスは、彼が30歳になったころ伝道を始められた。
4.そして、彼の言動のことごとくは、すべて「旧約聖書」の中において記された数々の「預言」を成就するものであった。
5.そして、当時の既成勢力にイエスは捕らえられ、十字架にかけられ、処刑された。そして、そのこともすべて「旧約聖書」に「預言」されていた。

6.さらに、処刑されたイエスは三日後に「復活」し、現在も我々とともに生きている。

という、一大ストーリーが展開されている。

 新約聖書は、イエスの言行録でもあるが、基本的には、上に述べた「事実」を目撃したり体験したり、あるいは聞いたりした関係者全員による「証言集」であるとするのが正しいであろう。そして、その出来事のすべては、「旧約聖書」に「預言」されているというのである。そして、その意味において、ここに「旧約聖書」の重要性が浮上する。

(続く)

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Column "Hitorigoto"

Vol.4「新約聖書についての、これもあくまでも個人的な考察 Part1」